福沢諭吉 「散歩党」

http://sanpo.sherpablog.jp/archives/51616564.html  
諸説あるが、福沢諭吉は日本で最初に散歩をしたひとりとして知られている。

えっ、じゃあ、それまでの人は散歩をしていなかったかというと、どうにも説明が難しい。
ここで、使われている散歩は、今でいえばウォーキングということになるだろう。


交通機関が発達していないころはすべてが徒歩移動だ。だからみんな歩いていた。
歩くことは移動の手段でしかなかったのだ。

福沢諭吉は歩くことこそが、健康にいいと、西洋の書物で知り、実践していた。
つまり、歩くことが手段ではなく、目的となった。

福沢諭吉はウォーキングを朝の日課として行っていた。
夏は午前四時半、冬は五時半に三田をスタートし、広尾、目黒あたりまで約一里半(約6キロメートル)を歩いたのだそうだ。

このウォーキングに福沢諭吉の門人たちもついていった。
やはりその姿は当時としては珍しかったようで、
彼らを散歩党と呼んでいたんだそうだ。やはり変わった眼で見られていたのかもしれない。

しかし、こういったウォーキングの習慣は、明治のインテリ層に広がっていく。森鴎外夏目漱石もウォーキングをしたそうだ。  




https://www.moonstar.co.jp/moonstar-news/2013/12/adult/03.html  

英語の「ウォーキング」に最も近い日本語が「散歩」だろうと言われています。私達が自然に使っている言葉ですが、この言葉が辞書に現れたのは明治時代のようです。特に目的や到達点を意識せずに歩くこと=「散歩」が、ここ日本で文化として広まったのには、福沢諭吉(1835-1901)他、色々な文豪の作品の影響があるとも言われており、諭吉本人も「散歩」を日課としていたその一人だそうです。
諭吉が62歳頃の口述筆記「福翁自伝」の「老余の半生」の章にある「今でも宵は早く寝て朝早く起き、食事前に一里半ばかり芝の三光から麻布古川辺の野外を少年生徒と共に散歩し…」という一節、この「散歩」の距離はおよそ6kmと予測でき、おそらく普通に歩くと6万歩くらいになるでしょう。


http://keio150.jp/fukuzawa2009/fukuzawa2009net/2009/02/post-daa8.html  

さらに、晩年までつづけた早朝の散歩に、同行する塾生を文字どおり叩き起こしたという銅鑼とその桴(ばち)。冬の散歩に使ったという、ただの状袋のような手のない手袋。これには思わず笑ってしまった。有難く閉口する塾生たちの顔が浮かび、股引き姿に鳥打帽で長い竹杖をついてすたすたと行ったにちがいない老先生の後姿が見えてきたからだ。