韓国の先生

新大久保に案内した韓国の先生は40代の日本語を教えてる大学助教授でした。
筑波大学に6年、文部省の奨学金で留学してました。
子供時代に亡くなった韓国人の父は日本大学法学部に留学し、検事になっていたそうです。
日本で資格をとろうとしたときに、ちょうど大東亜戦争が始まったので帰国したそうです。

ホームステイの事前にホストファミリーに送られてくる自己紹介文に、「アトピー性皮膚炎がひどいので、シーツを汚すかもしれないので、枕カバーとシーツを持参します」と書いてあったのです。
いままでにこのような人はいなかったので、ちょっと大変な人だなって、、心配してしまいました。
日本の経験も長いので、我が家に来ても、なにも珍しい話もないだろうし、、、、どこに案内したらいいだろうとか、、、困っていました。

彼を私が迎えにいったとき、彼は日本のことには熟知してるだけあって、韓国人である自分のことを、あまり歓迎してないのじゃないか、、と警戒心をもっていて、私の心を探るような話ばかりしてきました。
日本人は欧米人には関心を示すけど、アジア人には、興味ないでしょ、、、など、、

彼が不安に思っている質問に一つづつ答えていって、、だんだん不安を取り除かせることができました。
その後、彼と一日中過ごしてるうちに彼がとっても優しくてユーモアがある人だということがだんだん見えてきてほっとしていきました。

留学時代の話や韓国のいろいろな話をしてくれて、夜になって家族が帰宅してからはみんなとどんどんおしゃべりして、息子たちとはパソコンの中に入ってるいろいろな写真やソフトなどを見せっこしたりして楽しい会話が深夜まで続きました。

彼は赤ちゃんの時、右手にやけどを負ったそうで不自由な身の上なのでした。
留学中、筑波の病院で皮膚移植して、だいぶよくなったのでしたが、やはり普通には使えませんでした。

そして、アトピーの病気を抱えてて重症なのです。季節によっては、とってもひどいのだそうです。
それもやけどの皮膚移植したことで、もっと悪くなったそうです。
アトピーも、東京の大学病院で名医という先生から治療してもらうために入院したのに、なおらなかったのです。

顔はちくちく針にさされてるような痛みがあり、夏は特にひどくなって家のなかでは全裸になってのたうちまわることもあり、シーツが血だらけになって、夜中も痒くて頻繁に起きることもあるそうです。

洋服を着るのも大変なのでほとんどTシャツ姿で、スーツやネクタイは特別なときしか身につけないそうですが、大学の先生としてはラフな格好なのでいつも他の先生たちに批判されるんだそうです。

彼が生きてるのが辛いというのがよく理解できました。
とても気の毒で、聞いてるのもとても辛かったです。
奥さんは、こういう彼をとてもよく理解して、結婚を決意してくれたのだそうです。
パソコンの中にある写真を見せてくれたのですが、とても若くて美しい女性でした!

障害者ということで、電話料金が3割引きとかいろいろな優遇も受けられるようです。

日本は一戸建てが多いが、韓国はマンションが多いので、韓国のほうが(集合住宅なので)インターネットの線が引きやすく普及しやすいといってました。
日本のインターネットのスピードが遅いのでびっくりしていました。
北朝鮮の拉致の問題についても考えを聞かせてくれました。

大学教授は論文を年間2本くらい書かなくてはならないので、とても苦痛だと言っていました。高校教師になればよかったって笑っていました。
科学は進歩する学問だけど、言語は古くから何も変わらず、いままでの先生たちがたくさん論文を書いてきてるので、これから新しいことを発表するなんて、どんなに大変かとも。

韓国にも振り込み詐欺がはやってるそうです。国税局と名乗って。
詐欺師たちは国際的に研究!?してるのかもしれませんね。

韓国の女性たちは整形手術が一般的に行われてるそうで、自分もしようかと思って相談したら、あなたは直すところがあまりにもたくさんありすぎて一億円もかかるよ(笑)といわれたと冗談をいってました。

韓国の若者たちも最近はひきこもりが増えてきてるそうですが、インターネットがあるので家の中が快適でこういう現象が起きてくるんだろうねと語っていました。

ノーベル賞田中耕一さんのことも授業に取り入れたそうです。
日本人は田中さんのように、こつこつとまじめなので、賞をもらうんだと話していました。
韓国人はまだ科学のノーベル賞はとってないそうです。
韓国人は、出世のためには努力するけど、将来なんの保障もなかったら、すぐやめてしまうと笑っていってました。
田中さんは、博士号ももっていなく、東大でも京大でもなく、そして、ただの一研究員で、将来高い地位につきたいということもなく、ただひたすら好きなことをこつこつとやっていた、、、その結果がノーベル賞だ。
この無欲さが、いい結果を生んだととても賞賛していました。

彼は授業中、学生たちが携帯電話を鳴らすと罰則を設けてるのです。
罰則は「携帯が鳴ったらクラス全員に缶コーヒーをおごること」なんです。
だから、このベルは他の学生たちにとって「ゴールデンベル」なんだそうで、「あっ、ゴールデンベルだ!!」とみんな大喜びだそうです!

アトピーがひどい時は学校も休むそうで、そのときのために、普段からインターネットで授業ができるように準備してあるそうです。
そのインターネットの授業も、生徒が真面目に見ているかどうかがわかるようになっているのを見せてくれました。
時々、その生徒の携帯に電話して励ましのことばをかけたりしてることなど話してくれました。
とてもいい先生だなってわかりました。

日本に留学中は国際免許証をもっていたそうです。
あるとき駐車違反をしたそうで、交番に出頭したら怒られたのですが、免許証を見せたら英語版なのでびっくりしたそうです。
いままで見たことがないみたいで、とてもあわてて書類を探したらしいのですが、対応に困ったらしく、そのまま帰されたそうです。

これらのことを彼はとってもユーモアを交えて話すので、笑わされ続けでした。

彼と二日間一緒に行動して、彼がとてもすばらしい人間性を持った人だということがわかって、こういう人物が我が家に来てくれたということに、とてもありがたく感謝しました。

彼は悲惨な苦しみを抱え生き地獄のなかで生きてるのです。
それなのに人一倍あったかい心とユーモア精神に満ちあふれてる方なんです。
いままで会ったこともないくらいのものを感じました。
苦しんだ分だけ人間が立派になったのかもしれません。
まるで偉大な修行僧にお目にかかったような気分になりました。
彼を見ていて、ほんとうにたくさんのことを学びました。
彼の後姿がそのまま人を導いてると思いました。