河鍋暁斎展

昨日は日本橋三井記念美術館で「河鍋暁斎の能.狂言画」展を観てきました。
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/
暁斎のことではいろいろな思い出があります。
そのころ朝日カルチャーの通信教育でエッセーを学んでいました。
添削の先生は、朝日新聞の元記者さんのようでした。
あるとき、「河鍋暁斎」をテーマに書きました。
大英博物館暁斎展について書いたのに触れてあって
河鍋暁斎大英博物館の展覧会は私が企画したものです」と講評に一言加えてあったのです!
朝日新聞社が開催したもののようでした。
どこまでも縁が続いた不思議な年でした。
当時のエッセーがでてきました。
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河鍋暁斎との出会い」
平成六年のニ月、一通の手紙を受け取った。
「わたしは今、埼玉大学に留学しています。住んでいるところは、蕨市河鍋暁斎美術館のアパートです、、、、」
それは前の年、一日だけだったがホームステイをしたブラジルの大学生からのものだった。
一年前を思い出しなつかしく思うと同時に、「河鍋暁斎」という聞きなれない人物に興味をもった。
さっそく、手元にある美術館の案内書を開いてみた。
「江戸から明治にかけての日本画家だったが、政府の風刺画を描いたことで逮捕された経歴があり、それが災いして世に出ることもなく亡くなった。弟子には鹿鳴館を設計した英国人のコンドルがいる、、、」
その直後、たまたまテレビをつけたら英国の大英博物館で「河鍋暁斎展」が開催されていると報じてるのを見て驚いた。
まもなくして留学生のアパートを訪ね、隣の河鍋暁斎美術館ものぞいてみた。
美術館は曾孫にあたる女性医師が、世間から忘れさられている曽祖父の業績を知ってほしいという思いでつくったものだった。
欧州では、「北斎に継ぐ画家」と評されていたのに、日本の美術史上には名も残されていなかったのだ。
平成六年は暁斎が大きくとりあげられた年だった。
四月には江戸東京博物館暁斎展が開催されることになりでかけることにした。
新聞や雑誌で話題になるたび、館長を「先生、先生」と呼んでいた留学生は誇りに思いとてもよろこんでいた。
彼との出会いがなければ、わたしも知らずにいただろう。
展覧会にでかけるという前日、息子の同級生の母親「河鍋さん」と道で出会い、立ち話をした。ふと思いつき、暁斎展の話しをし、「まさかカワナベキョウサイの親戚ではないでしょうね」と冗談っぽくいったら、「(暁斎は)主人の父の遠縁なのよ。だからうちにも暁斎展のチケットがあるのよ」と思いがけないことばがかえってきた。不思議なめぐりあわせの年であった。