高山辰雄展

角川本社ビルで「高山辰雄生誕100年記念特別展」を観て来ました。
今日は、御長女で脚本家の高山由紀子さんの講演もある日だったので、それに合わせていきました。

講演の時間が近づいてきたら、お客さんがどんどん増えてきました。
狭い会場のなかでふと見るとお客さまたちと話している高山由紀子さんらしき方がいたので、思い切って声をかけてみました。
「私の父は高山邸を作らせていただいた大工でした。高山邸に出合ったことを生涯の誇りにしていました」などと亡き父が話していたエピソードをお伝えしご挨拶することができました。
高山由紀子さんは、思いがけない訪問者でさぞ驚いたことでしょうが、目を細めて、大変よくできた家ですよ。まだまだ健在ですよ。などとあたたかいまなざしを向けてくれました。
高山さんの御遺族とお会いする機会なんて生涯に一度もないことだと思っていたのですが、ついにチャンスがきたという感じで胸がいっぱいになりました!!
父が高山邸にかける情熱はそれはそれは大変なものでした。
むずかしいけどやりがいがある。この技術は他の大工にはできないんだよと言いながら、毎晩寝るのも惜しんで図面をながめるのをたのしんでいたようです。
私が実家に帰ったときも、自慢気に見せては説明し、茶室の「水屋」の意味を聞かれたことがありました。
生涯、そのときの図面はたからものにしてたのです。
棟上げのときは、工事関係者を前にして高山先生自らが父をよんで紹介してくれたと自慢していました。
亡くなる数ヶ月前も、高山邸の話をしたら急に目を輝かせて、もう一度高山邸をみんなで見にいこうか、、と語っていたのです。

あるとき、世田谷美術館で高山さんの絵を観て来たよとおしえたら、
急に過去の栄光が蘇ってきたようになって満面の笑みを浮かべて、また高山邸の思い出話に耽るのでした。

一介の大工にすぎない父が晩年にこんな偉大な方のしごとをさせてもらえたことは、ほんとうに名誉なことでした。
わたしたちにとっても素晴らしい遺産になりました!

玄関ロビーのDVDには高山邸が写っていました。

DVDを見てるお客さんにも父のことを教えてあげたら、とても喜んでくれました。
父の執念が私にこの出会いをつくってくれたのかもしれません。

由紀子さんが語ったお父さまのエピソードから
「若いころから少し手が震えるくせがあった。日本画はまっすぐな線を描くので震えがあるのは苦労だった。でも欠点は自分を育ててくれるんだ」
なぜ掌の絵を描くのかという問いには「人は悩み苦しむものだが、悩み苦しみを掌に乗せてみるといいんだよ。そうするとたいしたことではないってわかるんだよ」

高山由紀子さん。脚本家、映画監督。昨年は「源氏物語 千年の恋」が話題作でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%AD%90