ドバイの長官

先日、たまっていた録画番組を見てたらその中にNHKの「島耕作のアジア立志伝」がありました。
ドバイの成功物語でしたが、ここまで導いてきた大物の人物のストーリーにひかれて興味深く見てみました。
http://www.nhk.or.jp/asianleaders/2013a/20131003.html
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38491

その人物はドバイのDPワールド会長スルタン・ビン・スレイヤム氏で、ドバイの経済を発展させてる立役者だったのです。
夫の長野の亡き叔父さんも20年以上前、空手の交流試合でドバイに行き、政府高官とお会いしたそうで一緒に写真に写ってるのを年賀状にして送ってくれました。
気になってその古い年賀状を探してみました。
一生懸命探したけどみつかりません。
あきらめかけてから、急に思い出しました。、、叔父が残した自伝がある、、、と
パラパラめくってたら、、、でてきました!

着物姿の叔父さんとアラブの民族衣装をまとったドバイの長官。
写真の下には「アラブ首長国連邦 ドバイ免税省 スルタン スレイヤム長官と共に」と説明がついています。
名前をよく照らし合わせて見たらこの番組の登場人物と同じなまえ です!!! ええええ、、、、
まさに叔父さんがお会いしてきた方だったのです!!

「空手交流」ドバイからカイロにて 平成2年〜3年
「暮から正月にかけて、中近東ドバイからカイロに行ってきました」

これは年賀状ではなくて、正月過ぎにいただいた寒中見舞いのハガキでした。
このハガキを今まで思い出しては何度も何度も取り出してきて見てたけど、長官のことは何度読んでも頭に入らなくて
覚えられなかったのです。
この写真の雰囲気では5,60代の長官だと思っていたのですが、30代半ばだったのですね〜。
それまでドバイの名は聞いたこともなかったのですが、ちょうどそのころ湾岸戦争のニュースが聞かれるようになったころでドバイの名が少しづつ知られるようになっていたように思います。

Wikipediaによると湾岸戦争は「1991年1月17日にイラク空爆した事に始まった戦争。」とのこと。
91年は平成3年です。叔父たちが平成2〜3年にかけての年末年始、中東訪問して帰ってきたらその1,2週間後に湾岸戦争が勃発したということになります。
危ういところでした。かろうじて中東訪問がかなった!んですね。

島耕作のアジア立志伝を見て納得しました。
叔父からあのハガキをいただいたころは、まだまだドバイという国
は知られていなかったのですから、当然私たちが無理解だったとしても当然だったのです。

いままでこの叔父の自伝からいくつも大きな発見!をしてきました。
叔父の活躍してきたことや歴史上の著名人との関わりなどがわかってとても興味深かかったです。
もう何もないだろうと思っていたのに、まだまだこんなおもしろい話題があったとは。
現在のドバイの発展やスルタン・ビン・スレイヤム氏の偉大な功績には、叔父もさぞかしあちらの世界で驚いていることでしょう!





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