版画家 柳澤京子

句会の入賞でいただいた俳句の本に柳澤京子さんの作品が載ってたよと娘から聞いたので、広げてみたら特徴ある絵はすぐに柳澤さんの作品だとわかった。

http://www.weblio.jp/content/%E6%9F%B3%E6%B2%A2%E4%BA%AC%E5%AD%90
2年前信州の叔父の葬儀に行ったとき、会場でせわしなく取り仕切っている女性がいるので、よっぽど親しい方なんだろうと思って聞いてみたら、その方が柳澤さんだったのです。
そのときは失礼ながら柳澤さんについてなにも知らなかったのですが、滞在した2日間のあいだにいろいろお話を伺うことができた。
信州はもとより、東京日本橋のデパートや全国での展覧会、版画指導に社会活動等などで幅広く活動されていて信州では著名人だったのです。
叔父の葬儀には柳澤さんの作品の般若心経のてぬぐいや版画絵葉書などを会葬者に配ったので、作品を知ることができました。
柳澤さんと叔父一家は古くからの友人だそうです。
叔父の一人娘のナナちゃんは、NYで知り合ったドイツ人と結婚してドイツに住んでいるのですが、柳澤さんは、ドイツのナナちゃんの世話でナナちゃんの家に滞在し、ドイツの各地で展覧会を何度もやってきてるのだそうです。
当時、従妹のナナちゃんの結婚式に出席した夫は、ナナちゃんの書いた海外体験本をいただいてきたのですがその本を読んでみたらとっても驚くことがたくさん書いてあったのです。
まだ海外に行くことはとても珍しい時代にナナちゃんは知人を頼って単身英国に渡り
その後NYに移っていったのです。

そのころ三船敏郎も出演した米国映画「将軍 SHOGUN」が話題になっていたのですが、ナナちゃんの本に、その「将軍」の主役の俳優リチャードチェンバレンが、撮影で日本を訪れたとき、ナナちゃんの実家に泊まったという話が載っていたのです。
リチャードチェンバレンは、NYに住んでいたときの友人だったのです。
アパートをシェアした女性が女優で幅広い人脈をもっていていつもパーテイを開いていたのでたくさんの友人ができたそうです。

叔父は自伝を書き残して逝ったのですが、亡くなる少し前に完成し我が家にも贈ってくれました。
叔父の生涯は充実した人生だったということがわかったのですが、戦争体験の中に「硫黄島で玉砕した栗林中将」という項目をみつけてびっくり!
叔父の妻は旧姓が栗林で、栗林中将は親戚だったのです。栗林さんに手紙を書いたら返事をもらったということが載っていました。
前年、映画「硫黄島からの手紙」を家族で観たばかりだったので、この文を見つけたときは、大発見!した気分でした。
叔父一家はたまたま、ハリウッド映画、日本のサムライというキーワードに縁があったんだってわかって感無量になった瞬間でした。