指揮者の宇宿允人さん

5日に76歳で亡くなった指揮者の宇宿允人(うすき・まさと)さんの訃報が新聞記事に載っていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%BF%E5%85%81%E4%BA%BA
宇宿さんとの出会いはとても強い印象が残っている。
平成3年の夏、中野サンプラザで絵手紙の会の講演会で講師に宇宿さんをおよびしたのです。
そのときのメモを探してみたらみつかりました。

宇宿さんは音楽家近衛秀麿氏に師事したくて、断られても断られても毎日門の前で粘ってやっと許可されたのだそうです。
一流の交響楽団の指揮者をつとめていましたが、ときには幼稚園や高校、自衛隊などでも指導されていて、そのときの体験を語ってくれました。
幼稚園の子どもたちに「心」で語りかけるように指導したらプロの演奏家にも理解できないようなことを理解してくれてとてもみごとな演奏をしてくれたと感動したそうです。
「音楽は哲学の表現」
「音楽も人間もやり直しがきかない点で同じ。時間の芸術だ」
「死を知る。何をもって死ぬか。明日死ぬかもしれない。朝起きたら、今日一日しかないんだという気持ちを持つ」
「私は人と競争しないで自分と競争してきた」
「大工さんが家を作ってくれても住む人がいなかったら用をなさないのと同じで、音楽も演奏家と聴いてくれる客がいて一つの芸術になる」
素人の私たちにたいして、芸術をわかりやすく熱く情熱的に語ってくれたのです。
終了後、感動を伝えたくて友人と宇宿さんのもとに駆け寄りました。
宇宿さんは、とても気さくに応じてくださり、ご自身が身に着けておられた黒い薄手の上着をもちあげ「このジャケットは私が作ったんですよ」とまでおしえてくれました。
魚をさばいたり料理もよくされるそうで、駅前のショッピングモールにも買い物にも行きますとのこと。
とても器用な先生だったのです。

それ以来とても気になる芸術家としていつも気にかけていました。
それでも演奏会に行ったのは、池袋の芸術劇場にたった一度だけでした。
それから何年かたって、米国の高校生をホームステイすることになりました。
彼は日系人で姓が「宇宿」だったのです。
珍しい姓なので、宇宿允人さんのことを思い出し彼に話したのですが、全然わからないとのことでした。
それから2年後、その高校生が大学生になって再来日したのです。
まもなく彼の両親も何年ぶりかで日本を訪れ、我が家を訪ねてきました。彼ら一家と夕食を共にしながら、いろいろなことを語りあっていたら、彼の父が思い出したように「(自分たちは)宇宿允人さんと親戚なんですよ」と話されたのです。
なんという奇遇なんでしょう!