チター


文京区のお寺で、いのちをみつめる集いがありました。
講師は、秋篠宮紀子さまのチターの先生でも有名な内藤敏子日本チター協会会長です。
チターという楽器を見るのも、演奏を聴くのも初めてなのでとてもたのしみにしてきました。
内藤先生は、スイスで10年以上も学んでこられた方で、日本のなかでは唯一のプロ奏者だそうです。
重さ3キロ半、40あまりの弦で伴奏がいらないのが他の楽器と違うことなんです。

「第三の男」を早速弾いてくださいました。
「きれい」と「美しい」との違いについて、いろいろなたとえでお話してくれました。
「きれい」にする、のは、すぐにできても「美しい」のは、簡単にはいかない。
「美しい音色」を出すのは難しいが、できなかったらプロとしてやっていくのはよくない。
プロは、そのために一生勉強、努力している。
最近の学校音楽が変化していることへの指摘がありました。
「さらばふるさと」や「しゃぼんだま」を原曲と、編曲されている学校音楽の両方を演奏してくださり、
違いを感じとらせ、そのあと解説してくれました。
この両者は、哀愁を帯びたり悲哀のこもった曲なのに、いろいろな理由で軽快な曲に編曲されてるのだそうです。
編曲によって、作曲者の意図が伝わらなくなったり、情感を育てる心が育たないのではないかと警告されました。

日本人とチターの最初の出会いについてお話しもされました。
大戦のさなか、留学してたり仕事で駐在してた日本人たち
30名あまりがドイツに残ってたそうです。
その人々がスイスのチロルの湖畔の小さな宿に集まって宿泊し、将来的なことを話しあってたそうです。
その宿の娘さん二人が、遠い祖国からきている日本人客たちを慰めてあげようと弾いてくれたのがチターだったそうです。
その夜、初めて聞くチターの音色に感動したお客たちは、ぜひ日本にも広めようと話しあったそうです。
幼いころからこういう美しい曲を聴いてたら、このような戦争をする大人にはならないんじゃないかと思ったそうです。

のちにこのメンバーの方が内藤先生に出会い、チターの普及を託したそうです。

聖路加病院の日野原先生は音楽療法を研究しておられるのですが、内藤先生のチターにも大変興味を示しておられるのだそうです。
内藤先生は、小さいころからバイオリンを習っていてスイスでも学ばれたのですが、怪我がもとでバイオリンができなくなってしまわれたのです。

スイスの歴史や風土についてもお話しいただきました。
数カ国の言語が話されてるそうですが、中世のスイスは貧しかったのだそうで、先生が滞在中はその名残がいろいろな場面で見られたそうです。
演奏のみならず、芸術や音楽教育、ヨーロッパの歴史など盛りだくさんのことを聞かせていただき、充実したときを過ごしました。

帰りに近くの白山神社に寄ったら今が盛りとばかりにあじさいがみごとでした。