生きテク

白山のお寺でオキタリュウイチさんの講演を聞いてきました。
オキタさんはビジネスマンでもありながら、一方では社会問題を楽しく解決していこうというような多方面にわたる活動をしてる方です。

10年くらい前「キレる17歳」ということばが流行ったころ、オキタさんは、「ゴミを拾う」「老人に席を譲る」などの100個良いことをしたら願いが叶うという「ヘブンズパスポート」を発行し中高生たちに人気になり、15万部を売り上げるという社会現象を起し話題になりました。

2007年には、自殺防止のためのテクニックを集めたサイト「生きテク」http://ikiteku.net/を立ち上げたのです。
毎年交通事故死よりも自殺者の数が何倍も多くなってるのが気になり、何か解決策はないかなと考えてるうちに思いついたのが、この「生きテク」のサイトです。
自殺未遂者300人くらいの方に会って調査もしてるのですが、そのなかにはかつて自社製品のTVCMで有名だった社長さんもいました。

未遂者たちにインタビューしたら、自殺を思いとどまった動機がそれぞれあったことがわかりました。
本を読んで人生観が変わった、弁護士などに相談して解決したなど、、、
こういう体験談を分析したら8通りに分類できたのです。
それで、思いとどまった人たちの体験談を集め8種類の分野に分けて「生きテク」のサイトに載せました。
一般からも体験談募集してるので、どんどん進化していってます。

死にたいと思ってた人たちがこのサイトにたどり着き、思いとどまるようにと思ってるのですが、「打ち克って生きる人たちをたくさん見せる」ことによってサブリミナル効果を考えてるそうです。

死を思い止まるようなことばをデザインしたTシャツを着て若者たちと都内を行進したこともあったのでした。

なぜ日本には自殺者が多いのかと外国人の知人たちから質問されたりしてるそうです。 海外のメディアでは誘発するからと、自殺報道は規制がかかってて、ガイドラインが配られてるそうで、報道規制で4割も減ったという調査結果もあるそうです。

オキタさんの友人がアフガニスタンに行ったとき、食糧がなくて泥水を煮立てて飲んでる子どもたちに出合って話したら「日本に憧れてる。日本人のようになりたい。(日本に)自殺者がいるなんて絶対信じられない」と言われたそうです。
イランに行ったときは、イランの人たちは追い詰められたら100個くらいの解決策をもってるといってたそうです。

オキタさんが未遂者にインタビューして聞いた話です。
●借金で経営に行き詰ったある経営者は、特攻隊の人たちの手記を読んで、自分は彼らのようには精一杯生きてこなかったなと気づき、その後再起をし今は黒字の会社になった。
●銀行業務で借金取立ての任務を任されたら、相手が自殺してしまった。自分の仕事は人を殺すような仕事なのかと悩み鬱になり死を決断してるときに、大学の先輩から離島の島おこしを手伝ってくれないかと頼まれ、手伝ってるうちに自分のやりたいことがみつかり、今は活き活きと仕事している。
●イケメンの青年が大事故に遭い、顔も身体も障害者のようになってしまい、生きていく希望を失っていたが、医療関係者たちとのいい出会いから人生感が変わり、その後NPOをたち上げたりして、苦しんでる人たちを励ます活動をし講演などするようになった。
●障害のある若者がいじめにばかり遭ってたが、ゲームの中だけは強かったのでゲームに熱中してたら大会で優勝し、優勝したら人気者になってたくさんの友人ができた。
●経営者のAさんは3千万の負債を抱え苦しんでるときに、たまたま居酒屋で40億の借金抱えてる経営者Bさんに会って話しを聞いた。AさんはBさんと比べて自分の悩みが小さいと気づき、もう一度頑張ってみようと思いその後再起した。
Aさんは相変わらず居酒屋で自分の体験談を話してるが、居合わせた客たちはみな興味深々で聞き入りいつもたくさんの人に囲まれ、いつのまにか人気者?になっていまでは講演も頼まれてるそうです。
●大学生が将来について悩み四国遍路を決行したら、お接待などを受けたり毎日いろいろな方に出会ってるうちに元気になっていった。

社会のなかで困った問題、悩みがおきたときに、昔からとんちなどのいろいろな解決策が考えられてきてるのです。
うなぎが売れない時期に「土用の丑にはうなぎ」
「立小便するな」の文字の代わりに「鳥居」のマーク

ナマハゲはどういう役割を果たしてきたか、夜、爪切るなというのはどういうことからできてきたことばか等々興味深い話でした。

牛乳が腐るとヨーグルトになるというふうに思わぬものが生まれることもある。

土用の丑のうなぎや四国遍路が長い間継続されてきたように、「生きテク」も長く続いていけるようにと考えてるそうです。

オキタさんがこのようなことに関心をもった背景には、徳島出身ということもあり、日常的にお遍路さんたちと接し、お接待という精神も根付いてるのかもしれません。
また子どものころからお坊さんになりたいという願望も強かったのだそうです。