「おばあさんの新聞」

日本新聞協会の新聞配達エッセーコンテストで岩国哲人さんの「おばあさんの新聞」が最優秀賞を受賞されたという記事を読みました。


哲人少年は父を早くに亡くしたので、母を助けるために小学校5年から40軒の家に新聞配達をしました。
新聞を読むのが大好きだったのに自分の家では購読ができず読むことができなかったのです。
それで親切な老夫婦に頼んで、配り終わったあとに毎日家に寄って新聞を読ませてもらうことにしました。
おじいさんが亡くなっても、おばあさんが引き続き新聞を読ませてくれてたので毎日通っていました。
おばあさんが亡くなった葬儀のとき、実はおばあさんは字が読めなかったんだよ。読めないのに新聞をとっておられたんだよと知らされました。
てっちゃんが毎日来るのがうれしくてとり続けていたのだ、、、と。
おばあさんにお茶まで出してもらって、「てっちゃん、べんきょうして、えらい子になれよ」とあたたかい声をかけつづけてもらってきたてっちゃんは、
その後、東大に入り、NYのメリル.リンチ副社長、出雲市長、衆議院議員をつとめられました。

岩国哲人さんがNYのメリル.リンチを中途退社して出雲市長になられたときニュースで見ました。
そのときのインタビューを今でも鮮明に覚えています。
メリル.リンチにいたほうがずっと収入もいいのになぜそれらをなげうってまで日本に帰ってこられたのですか?
「日本の国に恩返しをしたいから」というこたえでした。

長年連れ添った夫人にも話したことのなかった「おばあさんの新聞」のエピソード。
今回受賞して「(おばあさんに)やっとお礼が言えて喜んでいます」と岩国さん。

亡くなってから真実を知った、、、、遠いむかしこういういう物語を読んだことがあります。
宝ものを拾ったような気分になりました。

「一隅を照らす」に出会いました。




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