孫文

九条武子さんの兄で西本願寺22世法主大谷光瑞は、引退してから中国に渡り孫文と交流するようになります。

大谷光瑞は「孫文が率いていた中華民国政府の最高顧問に就任」したそうです。

白蓮が最後に駆け落ちして得た伴侶の父は熊本出身の革命家宮崎滔天(とうてん)でした。
宮崎滔天孫文を支援した人です。



熊本在住の知人が最近ツイッターで「熊本には宮崎滔天がいた」というようなことをつぶやいていたのですが、「宮崎滔天」って誰?って思って調べてみたら、白蓮の義父にあたる方だったのです!



東京白山にある白山神社には滔天と孫文に関する石碑「孫文は滔天と共に白山神社の境内の石に腰掛け、中国の将来と革命について語り合った。」というのが建ってますが、いままでなんどか白山神社を訪れてこの石の解説文を読んでましたが、どうしてここへ孫文が?滔天とは?と全く理解できませんでした。

宮崎滔天という名に全然馴染みがなかったのです。


白山神社の近くに居があった滔天は孫文としばしばここへ来てたのでした。

いまやっと白山神社の石碑と結びついてきました。

白蓮の義父と九条武子の兄は共に孫文と密接な関係のあった方だったのです。

これらのことでも白蓮さんと武子さんは共通のものをもっていたのがわかりました。

孫文を支援した日本人といえば日比谷公園内にある松本楼梅屋庄吉しか思い浮かばなかったので以外な発見でした。







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