白川郷

パイプオルガンコンサートを聞いたあと、電車で約2時間かけて宿泊地の高山に夜遅くに向かいました。
翌朝は高山駅前から朝一番のバスで白川郷に出発です。
外国人たちにも人気のスポットなんですね〜。バスは外国人客も乗せてほぼ満員になりました。

1時間足らずで世界遺産白川郷http://shirakawa-go.org/
に到着しました。
駐車場に降りた途端知人から電話が入りました。「今どこにいるの?」「岐阜県白川郷に着いたばかり、、、」「え!なに、、、」受話器の向こうではびっくりしてる様子が、、、、
一帯は観光用の合掌造りの民家が食堂や雑貨屋さんなどのお店になってます。
その向こうには、「野外博物館 合掌造り民家園」があります。
まずはここで基礎知識を学ばなくてはと入場料500円を払って見学することに。

ダムに沈んだ村などから移築した合掌家屋だそうです。
新聞記事になった白川郷の歴史が展示されてました。
遠野物語」の柳田國男が訪れていたこともわかりました。
病人がでても医者もいなく、半年も雪に埋もれてるので医者もきてくれなく、家族が亡くなったりしたのが原因で移っていった家族の話が載っていました。

かつて放映された白川郷のビデオが流れてる家屋がありました。かやぶき屋根の取替えの様子が写っています。
そこで家屋の修復作業などやってる男性とお話して、ここの歴史などを教えてもらいました。
ずっと昔は養蚕で生計を立てていて人手も必要だったことから、大家族で暮らしていたそうですが、長男しか結婚できなかったのだそうです。
かやぶき屋根の取替えは、昔は大勢で一日で仕上げたものだそうです。
「結い」という絆で繋がっていてお互い様ということで、もし怪我をしても自己責任だったのです。
終ったあとは、家族でもてなし大宴会になって身近な家財道具を太鼓にしたりして大賑わいだったとか。
それが、最近は材料の茅がなくすすきを使ってるそうですが、人手もなくなり一軒仕上げるのに1ヶ月もかかるそうです。
「結い」の絆も薄れ、怪我したら弁償もしなければならなくなり、作業にとりかかるまえに保険に入るようになってるそうです。
展望台に上がるといい眺めだよと教えてもらいました。

このつり橋を渡ったらいよいよ集落です。

  
  
公開されている民家に入りました。
幼いころ目にしていた故郷の山しごとに使う道具たちと同じだったのでとても懐かしかった!

その昔、白川郷では土や草などと混ぜて、床下で火縄銃の火薬を作っていたのだそうで、床下を見せてくれました。
食堂になってる民家で郷土料理の朴葉味噌の定食 
 

ここは美術館のようになってる民家です。亡くなったご主人が芸術家だったのです。山から見つけてきた自然のままの木を利用して仏像を彫ったり、イスなどを製作してたのですが、珍しい自然のままの木をたくさん見てきました。
 

歩いて15分くらいで展望台です。炎天下のなか暑くて大変だったけど、一望に見渡す景色をみたら疲れもふっとんでしまいました。

集落を歩きながら出合った旅人たちと立ち話もしました。
一人旅の会社員、関東からオートバイでやってきたという青年、、、
それぞれの旅のスタイルや情報などが聞けておもしろかったです。

雑貨やさん、食堂のおかみさん、、、たくさんの方たちとも会話を交わし、白川郷の現状や歴史などをおしえてもらってとっても有意義な旅になりました。
帰りのバスでは、また一人旅の外国人の女性とずっとおしゃべりしてきました。
日本人だと思ったら、香港系のカナダ人でしたが現在スペイン在住で、欧米はもとよりアジア、アフリカまで世界旅行を楽しんできた方だったのです!日本大好きで住みたい!って言ってました。

夜は無人駅になる白川口駅では自転車旅の大学生の5人組に出会いました。電車のホームに自転車ごと乗りつけてるのでふざけて遊んでるのかと思いました。目が合ったので話してみたら、名古屋からいきあたりばったりずーっと走ってきたらここまできてしまったのだそうです。
電車の運転士さんに自転車ごと乗せてもらえないかと交渉したけど、荷造りしないとだめだと断られて困ってるところでした。
自転車が好きだとのことなので、今自転車で世界一周してる若い友人のことなど話したら、興味をもってくれました。
茶髪の彼らだったのですが、私といい会話を交わしてくれるので感激したら、「せっかく人と出会ったのにいい時間(とき)を過ごさなかったらもったいないじゃないですか。今日はお話ができて楽しかったですよ!」と挨拶してくれ、反対側から電車に乗った私に手を振って見送ってくれました。
たった2日間の旅だったのに、まるで1週間も旅してきたような気分になりました。