銀座のカレー屋 

24(月)日、新聞で「老舗カレー 華麗なリレー」と言うタイトルの記事が目に止まりました。
銀座一丁目の老舗カレー屋「ニューキャッスル」の話でした。

創業者が亡くなったあとを娘婿が継ぎ、その後廃業したのですが、そのあとをまた復活させたいと常連客だった若者が継ぐことになったという話でした。
その彼は銀座で「黒服」として働いてたのです。
この話を読んで、あの店だ!と、とても懐かしくなって、今度銀座に行ったら寄ってみようと思って記事を切り抜いておきました。

20年くらい前、NHKの番組ですてきなご老人特集をやっていて、男子高校生の孫と毎月のように映画を観に行ってる銀座のカレー屋のおじいちゃんとして紹介されたのが、このカレー屋さんの創業者のおじいちゃんでした。なんてすてきな生き方だろうと思って感動して友人に電話したら、偶然にも同じ番組見て感動してたのでした。
当時はネットも普及してなかったし、その店のなまえもTVで紹介されなかったので、見つけるのは難しいかなと思ったのですが、友人はその類のことを調べるのが得意だったので、多分大丈夫!といってすぐに訪ねることにしました。
翌日友人と早速そのカレー屋さんを探して開店早々の時間にたずねて行きました。
そのおじいちゃん柳田嘉兵衛さんはニコニコとして迎えてくれました。
お客さんがまだ居ない時間だったので、私達のテーブルに向かいあって座り、TVで見た感想や質問など話すと、優しい笑顔でなんでも答えてくれ明るくむかしのはなしも語ってくれます。
高校生のお孫さんと映画観にいくなんてすてきですね〜と言ったら、「戦前は満州で映画作ってたんだよ」という意外な答えをしてくれたので、私が、「じゃー李香蘭はご存知ですか?」「あ〜知ってるよ」とのことでびっくりしたのです。ちょうどその少しまえ、李香蘭こと山口淑子さんがTVで満州の映画について話してたのを聞いてたので、すぐにこのことばが口からでてきたのです。
戦後満州から引きあげてきてから焼け跡の銀座でカレー屋を開いたのが始まりだそうです。
壁にかかってる大きな絵画を指して「この絵はどなたのものですか?」とまた聞いたら
「あ〜 私の友人が描いたものだよ。加東康一の父親で画家だったんだよ」とのことにまたびっくり。当時芸能レポーターとして加東康一は毎日のようにTVに出てましたから。加東康一の父が画家だったということも初めて知りました。
次々と話してくれる話しに友人と感慨ひとしおになって店をでました。
貴重な昭和史を聞いたね〜この話を録音したいくらいだったね〜と、夢のようなひとときををとても大切に思いました。
その後、亡き加東康一さんの夫人のお話を聞く機会があったときに、お義父さんの絵を銀座のカレー屋さんで見たと話したことがあります。やはり画家さんでした。

昨日朝になって急な用ができ銀座方面にでかけることになりました。
昼食をとるときになって、前日の記事を思い出しカレー屋さんに行こうと決めました。
思いがけなくも突然その日はいきなりやってきました!

場所は近所に移転したのですが、すぐに見つかりました。
ニューキャッスル

1時半になってたので、少しはお店の方たちとお話ができるかな〜と思って入って行きました。

地下の階段をおりたところにメニュー表があります。
むかしと同じメニューのなまえは京浜東北線の駅名になってます。川崎(大盛り)蒲田(普通より少し少ない)大森(小盛り)、大井(少ない)、品川(かなり少ない)

店に入ったら、カウンターに案内されました。
注文してから、新聞見たことと昔おじいちゃんにいい話を聞いて、ずっとその話を宝物のようにしててきょうは懐かしくて訪ねてきましたと語ったら、2代目夫妻がニコニコとおじいちゃんの思い出話を聞かせてくれます。
カウンターの隣席には、長年の常連客だという80歳くらいのおばあちゃんがいて一緒に思い出話を語ってくれます。
名物のカレーをいただきながら、3代目さんもまじってにぎやかに話が弾んでいきます。

創業者の柳田嘉兵衛さんのお写真も飾ってあり見せてくれました。

旧店舗のスケッチ

おじいちゃんが映画のしごとをやってたということでは、
蒲田撮影所や映画監督の木下恵介さんや中井貴一の父の佐田啓二さんの名前もでてきました。
場所柄とお人柄と独特の味が関係してるからでしょう。
このカレー屋には、いつでも著名な方々がきてるというエピソードも。

このニューキャッスルはカレーの味がいいからと評判で人気だったのですが、おじいちゃんの昔話にひきつけられて
来店したわたしのような客は珍しかったかもしれませんね〜

またまたいい話を聞かせていただき感謝のことばを述べてたら、2代目さんから、おじいちゃんもさぞ喜んでくれたでしょう!と嬉しいことばをいただきました。





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