小野田寛郎さんとのご縁

昨夜はNHKBSで2時間番組の小野田寛郎さん特集をやっていました。
小野田さんがなぜブラジルに行ったのかがこの番組でやっとわかりました。
小野田さんの人生を知ることは、日本のたどってきた歴史を知ることでもありました。

我が家では息子が中学生のとき、小野田さんが夏休みに開催してる小野田自然塾に毎年参加させていました。http://www.onodashizenjuku.or.jp/
自然のなかで遊ぶのが好きな息子は、このキャンプに参加することで小野田さんと触れ合え、いろいろなサバイバル術を教えてもらえるので毎年たのしみに出かけていきました。

わたしたちも小野田さんのような人物に直接ふれあうだけでも貴重な体験になるだろうと思っていたので、いい機会に恵まれたことを感謝し誇りに思っていました。

その後は時々 テレビなどで小野田さんの番組があるたびに関心をもって見ていて小野田さんのとてつもない人生を知り深く感銘を受けていきました。

息子が大学に入ったころ、小野田さんの「帰還三十周年を祝う会」の招待状が届き、父子で出席することができました。
それから3,4年後のことです。あるとき家の中を整理していたら、古いはがきが一枚でてきました。すっかり忘れていたものです。
それは私宛に届いた昭和四十八年の年賀状で、ある新聞記者さんからのものでした。
そこには、「キャンプに行ってからもう十年になります。おぼえていますか。昨年は横井さんの取材でグアム島へ行ったのをはじめ忙しい年でした。お便りください」と添えられていいました。
私が実家を離れていたころに届いていたもので、家族が忘れていたらしくしばらくたってからこのはがきの存在を知ったので、返事はだしていなかったのです。
ただそのころ世間を騒がせ大ニュースになった横井庄一さんのことが書いてあったのが私にはとてもビッグな話題でしたから大切にとっておきました。
遅れて年賀状を出すわけにもいかないしと思いまたどうしていいかもわからずただ何十年も大事にしまっておいたのです。
その記者と出会ったのは、私が小学生の夏休みのときでした。
海辺に住んでいた小学生の私たち少女は、5,6人で毎日のように海で泳いで遊んでいました。
その日は、大学生のお兄さん2人が近くでキャンプ
をしていたのです。
私たち村の少女はよそ者が珍しくそばに近寄っていって都会の彼らをウオッチングしだしたのです。そのお兄さんたちは私たちに優しいまなざしをむけ、なにかおしゃべりしてくれて、東京に帰ったら絵葉書を送ってあげるよと約束してくれました。
その後、本当に東京タワーなどの絵葉書が届き、みんなで感動してみせあいっこしたのを覚えています。

10年後に届いた年賀状でそのときのお兄さんが新聞記者になっていたのを知りました。
それからまた何十年かたち古いはがきがでてきて、その方がどうなっているかとても気になりました。
「お便りください」と書いてあったのに返事を出さなかったのだから、遅ればせながらではあるけれども、とにかくそのままの住所に簡単にお便りを書いてみようと思いました。
その方が今どこでどのような生活しているかもわからず
ためらったのですが、死ぬときに悔いを残さないためにも思い切って出してみようと思い立ちました。

それから2日後電話が鳴りました。出てみたら、なんとその元記者さんだったのです。
思わず感嘆の声をあげてしまいました!
もう高齢になっておられたのですが、とても喜んでくださったのです。
その元記者さんは、大手の新聞社のグループ会社の社長までなられ、現在は講演活動をされておられるということでした。
その後わかったことは、横井さん同様、小野田寛郎さんのこともルバング島に取材に行き、いまは小野田さんと親しくお付き合いしておられ、ブラジルまでも訪ねたそうです。
息子が小野田自然塾に参加したことや、小野田さんの「帰還三十周年を祝う会」のことを手紙でお伝えしたら、とても驚いた便りが届きました。
「帰還三十周年を祝う会」ではその元記者さんが司会を努めていたというのです。
息子と夫にその話をしたら、たくさんのお客さまだったのであまり覚えていなかったのですが、そういわれてみれば司会者がいて話してたなーとうろおぼえで思い出すことができたのです。

小野田寛郎さんと私が幼いころに会った人物と、何十年のときを経て、息子と夫がが同じ会場で出会っていたというこの奇遇なできごとになんともいえない思いを抱きました。