温かい電話

夜遅くブラジルの友人から電話がきました。
現地の時刻を聞いたら、ちょうど12時間の差でした。
彼は「長い間連絡しなくてすみません」と言ってとっても申し訳けなさそうに挨拶してくれました。

彼が帰国してからもう10年位たちます。
最後に電話があったのは7、8年前です。
その日の彼の電話は、「この前、小泉総理がブラジルを訪問してきてパーテイが開かれました。私はそのパーテイに招待されたのです。私は小泉さんと少し話しができました。」ととっても誇らしげにビッグニュースを知らせてきたのです。

今回は、日本の災害の安否を心配して電話してくれたのですが、今、ブラジル政府は日本への電話は今週だけ無料にしてるのだそうです。
日本にはブラジルからたくさんの人々が働きに来ていて、この災害で帰国した人たちも多いけど、帰国していない人々も多くいるそうです。日本に居残っている人々とブラジルにいる家族が電話料金を気にせず話せるように政府が取り計らってくれたのだそうです。

昨日、新聞記者がきて今回の日本の災害について彼は取材されたそうで、それが新聞に載ったのだそうです。
埼玉大学への留学、国際交流基金の研修や、金沢市の国際交流員として等々何度も来日しているので、
日本の事情に詳しい人物として取材されたのでしょう。

彼は昼間は裁判所に勤務(書記)して、夜は7時半から大学で日本語の教師をしています。
この日は裁判所の職場から電話してきて、同僚の女性が電話にでたのです。
日本の災害を心配して、彼女が自宅に我が家の家族を避難させてあげたいって言ってくれたのだそうです。
彼がそばで日本語を教えてるのが聞こえてきました。彼女は教えられたとおりにたどたどしい日本語で「ブラジル ニ ゼヒキテクダサイ。歓迎します。皆様の安否を祈ります」って一生懸命話してくれたのです。

なんの面識もないブラジルの女性からこんな優しい支援の手を差し伸べてもらうとは考えたこともありません。
世界中の人々が我がことのように心配して、何か支援してあげなくちゃって一生懸命になっていてくれるのがひしひしと伝わってきます。
暗いどん底の中でひと筋の明かりを見つけたような気持ちになりました。

日本のことを心配してくれた彼の実状はどうかというと、彼の生活もとても大変そうでした。
大家族の長男の彼は、経済はほとんど彼が支えてるのです。
家族の何人かはそれぞれ問題を抱えていて、一人の弟は大勢子どもがいて生活が大変なので、彼はそのなかの一人の障害のある子を養子にして世話をしてるのだそうです。
「働けど 働けど なお わが暮らし 楽にならざり、、、、」
という言葉が浮かんでくるような生活です。
ブラジルは給料がよくないので、彼は2足のわらじで働いてるのだそうです。
そしてついに彼も病気になってしまったそうです。

日本のことを心配してくれる前に彼自身も心配される身なのでした。
でも彼の実直な性格は、周囲の人々がほおっておかないようでした。
みなさんからたくさんの善意の愛を贈られてるようです。

お互いに大変だけど、がんばりましょう!きっとまたいい状態になって必ず再会できる日がくると信じて楽しみにしていますと励ましあって電話を切りました。