「三十年目の出会い」

15、6年まえ、エッセーの通信教育を受けていたとき「三十年目の出会い」という題で米国のペンパルのことを書いたのを思い出した。

********「三十年目の出会い」********

中学で初めて英語を学んだわたしは、英語の魅力にとりつかれ、さっそく英語クラブに入った。
クラブで、海外文通をすることになり、同い年で十三歳の米国の少女を紹介された。
今から三十年前、海と山に囲まれた小さな村に住んでいた私にとって、米国は偉大な国、憧れの国であり、少女からの手紙はまさに夢の世界を運んできてくれるものであった。
家ではピアノを弾き、休日はカヌーで遊び、夏休みは家族でカナダまでキャンプに行き、友人の別荘で水上スキーを楽しむというような話題がいつも盛りだくさんだった。
日本の私はこれといって珍しい話もないうえ、英語能力も乏しく、だんだん疎遠になり、二年あまりで交流は途絶えた。それでも少女からの十通あまりの手紙は夢がいっぱいつまった私の宝物だった。上京し、結婚してもその手紙の束はずっと大事に保管され、手元にあった。
その後、友人になった米国人女性から、米国のペンパルの彼女に再度手紙を書くよう勧められ、協力してもらうことになった。手紙を投函して半信半疑で待ち続けて三ヶ月目、驚きと喜びを沿えたクリスマスカードが、なつかしい彼女から届いたのである。二十年ぶりに交流が復活したわたしたちは互いに結婚し、子どもを持つ母親になっていた。
その後、クリスマスカードを交換し続けて十年目の昨年、彼女から、仕事で来日することになったという知らせが届いたのである。三十年目で、感動の初対面をすることになった私たちは、友人の通訳で、互いの生活を語りあうことができた。
三十年前、遠いところにあったピアノやキャンプはようやく日本でも、庶民の手に届くようになったが、幼い子どもたちを夫に預け、頻繁に外国出張できる女性たちの環境はまだまだ日本では、「高根の花」であるということを気づかされた出会いとなった。***************

中学生のとき彼女から届いた手紙です。いまでも大切にとってあります。13歳のとき彼女から初めての手紙が届いたときの感動はいまでも蘇ってきます!ケネデイ大統領の時代だったんですね〜。昭和40年の日付が入ってました。