国際交流基金賞受賞&「more trees 展」


今日の国際文化会館での講演会。
2010年度の国際交流基金賞日本語部門受賞記念講演会
「インドー日本 変化する認識」
東京外語大に留学し、国際日本文化研究センターにて研究をすすめ、京大客員教授をつとめたデリー大学前教授のサヴィトリ ヴィシュワナタン氏(Savitri Vishwanathan)写真左端。

8世紀〜21世紀にかけての日印間を振り返っての講演。
(同時通訳付)
大隈重信は日印両国民の親善を図る目的で 日印協会を設立。
インド独立運動の革命家の二人のボースが日本に亡命。英国はインド人を国外追放せよと命令したにもかかわらず日本は彼らを支援した。(このうちの一人のボースは新宿中村屋の娘と結ばれ日本にカレーを普及させる。)
日本に原爆を落とされたときインドは深く同情し、怒りを表した。
極東の反対にもかかわらずインドは日本に食糧を支援したり、日本の復興を支援。
敗戦後の日本の動物園に動物がいなくなったことを憐れみ、ネール首相は日本の子どもたちに子像を贈る。
その後日本はめざましく発展していったが、インドは国の難しい事情によりなかなか文盲をなくせないことに時の日本首相は失望を示した。
その後、日本ではインド人技術者を受け入れ、JICAでは農業指導に訪れたり、障害者の支援をしてくれたりしてくれたことにインドでは日本国民からのギフトだと喜んだ。
日本の援助によりインドの漁業もよくなり、日本にとってはそれで魚を得ることができた。
現在インドの都市部では日本のアニメや寿司てんぷらなどが人気で日本にとても関心をもっている人々が多い。
相互間の利益のためにも友好関係を維持していくことは
非常に大切なことだ。
講演のあとは、お茶をいただきながらの交流会でした。
終了後、六本木のAXIS GALLERY で坂本龍一らが発起人となっている「more trees 展」へ。10/27-11/7
http://www.more-trees.org/
スタッフの方から日本の森林の現状について説明していただきました。
40%は戦後の高度成長期に需要を見込んで大量に植林した人工林だそうですが、外国から安い木材が大量に入って来るようになり、日本の林業が衰退していったのだそうです。
more treesの団体を設立して、間伐や下草刈りなどやって国内の森林保全につとめたり海外では植林を進めたり、木材を使った製品を作ったりするような活動しているのだそうです。
 


来場者たちに、いろいろな木で「木」という字を作ってもらい、それを吊り下げて展示しているそうです。とてもユニークな「木」が多くて発想の豊かさに圧倒されました。私の作品は右端です。