阪神淡路大震災


阪神淡路大震災から1年後の春、テレビを見ていたら、神戸の小学校教師で作家の鹿島和夫先生と教え子の小学生たちの番組をやっていたので驚いて画面に見入ってしまいました。
鹿島先生はその春で定年を迎えたそうで、その前に災害に遭った小学2年のクラスのこどもたちに詩を書かせて本も出版していました。テレビ番組を見終わったあと、その子どもたちの詩に感銘を受けたことと、いままでの鹿島先生へのお礼の気持ちを込めて、子どもたち全員に絵手紙を送ることを思いついたのです。
思いついたまではよかったけど、それまでそんなにたくさん書いたことがありません。
30名位の生徒さんにはたしてこんなに書けるだろうかとだんだん気持ちがぐらついてきました。
まごまごしてたらどんどん日が過ぎて、ますます書けなくなる、、、とにかく書き始めよう、、、
雑念を取り払って、無念無想、、一心不乱になってハガキと格闘しだしました。
まるで禅の心境のようでした。
そのころは展覧会用の絵手紙を描く機会が増してきていつしかだんだん自分の心に違和感を覚えるようになってきていた時期でした。
「手紙」なんだからやはり実生活に即した手紙じゃなくちゃ本当の手紙じゃない、、、こういう時に書くものこそ本来の私の手紙だという気持ちになっていきました。
私も中学生のときに大地震に遭って恐怖の日々を送った経験があるので、あのときの気持ちを思い起こし、子どもたち個々の詩の内容にあった文を一生懸命考えました。
絵に描くものは、家中から探してぬいぐるみやおもちゃ、人形などのかわいいものを掻き集めてきました。
厳しい環境にいる人に楽な立場にいる人間が生半可な気持ちで手紙など書いたら
返って苦しませることになりかねません。
一枚一枚祈るような気持ちで書き続けました。

拙いながらも力をふりしぼってようやく完成させて鹿島先生に送ったら、すぐにお返事をいただきとても喜んでくださった様子が伝わってきました。
その後まもなく、ぽつりぽつりと絵手紙を送った生徒さんからお手紙が届きだしました。
とても喜んでもらえたようです!
住所は、神戸からだけでなく他県の子どもさんもいました。
遠方に避難された方たちも多かったのでしょう。
鹿島先生はなにもおっしゃらずに黙って受け取ってくださったのですが、
被災して居所がばらばらになり、遠隔地に移り住んだ生徒さんにまで絵手紙を渡すのはさぞ困難なことだったでしょう。
あとでこのことに気がついた私はまさに汗顔の至りとなったのです。
あのときの子どもさんたちがどうぞいい人生を送っておられますようにと祈るばかりです。

鹿島先生との出会いは、御著書に感動して手紙を書いたことがきっかけで、本を贈っていただいたりしながら細々とここまで一ファンの座を保ってきたのです。